Neo Culture #Journal

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ある文化がある異文化を受容するには、母体となる文化においての既成概念の破壊と伝統の再構築が必要となる。 Neo Cultureは、その過程を人為的かつ局所的に再現しようとする、一種の実験である。

ビリヤニ回顧録③-ロヒンギャとサロンとロヒンギャのビリヤニのルーツ

ロヒンギャとは?>

 主にミャンマー西部のラカイン州にまとまった人口がいるイスラム少数民族の人たちのこと。

 

<サロンとは?>

 ロヒンギャの人たちが話すロヒンギャ語のなかで、おかずという意味合いで使われる言葉。

 

 

 ロヒンギャの人たちが、現在の東南アジアのビリヤニシーンの形成にかなり重要な役割を果たしてきた可能性が高いということは、先日の私のフェイスブックの投稿でちらりと述べ、またビリヤニ2割でも一定のページ数を割いて解説することでもある。今回のブログでは、ビリヤニ2割では本旨から外れてしまったり、ページ数の関係で書ききれなかったり、結局結論が得られずに散らかりきって終わってしまった考察などをまとめる。これはビリヤニ2割のネタバレではなく、どちらかというと補足的な内容なので、こちらの記事から読まれても、ロヒンギャについてはある程度知識があるという方は、本を読んでから更なる盛り上がりを求めてこちらの記事を読まれても、どちらでもよいと思う。

 また、本記事とビリヤニ2割で私が述べることは、史実と私の体験と、私が得た証言と、それらから得られる考察なので、全て確定された真実とは言い難いし、ロヒンギャの人たちの中でも、当てはまる人と当てはまらない人がいることと思う。

 

ロヒンギャのルーツ>

 現在のロヒンギャの人たちのルーツは単一ではなく、東南アジアや南アジア、西アジア、ことによるとアフリカにまで辿ることができる可能性があるが、もはやどの家族がどこの由来なのかを探ることは容易ではなく、またそれ自体は今回の企画の目的でもないので、「かなりの時間をかけて形成された、かなり広範なルーツを持つ人々のコミュニティがロヒンギャと呼べるであろう」という程度のふんわりした纏め方にしておく。

 現在のラカイン州には7世紀頃にイスラム教徒伝わったという記録が残っているようであり、そのイスラム教徒たちを中心に現在のコミュニティが形成されているようである。ただ、イスラム教徒そのものが入植してきたのか、もともとそこにいた人たちが改宗したのか、多分どっちの流れもあったでであろうが、ではそれは割合的にはどっちがどれくらいだったのかはよく分からない。また、現在のラカイン州にもともと住んでいた民族がどの民族だったのかも、明らかになっていないようである。

 

ラカイン州の歴史>

 現在のラカイン州は随分古くからの歴史の流れの記録が現地に残っているようである。これに関しては、ネット上ですぐに見つけることができるので特に触れない。基本的には代々イスラム教徒以外の人たちによってその地に王国が築かれ、統治されてきたということであるが、それが14世紀から流れが少し変わってくる。

 14~16世紀にかけてベンガル王国、そして17世紀中頃にベンガル王国を吸収する形でムガル帝国が現在のラカイン州を(恐らく全土ではないが)領土とした。ベンガル帝国の後は統治はイギリス領インド帝国に引き継がれ、19世紀中頃にラカインはミャンマーへと帰属した。

 ベンガル王国とムガル帝国はスルタンが治めるばりばりのイスラム教の国だったため、その時代にイスラム教徒の移民が現在のラカイン州に増え、イスラム教徒は勢力を拡大していったという話である。

 

ベンガル王国時代>

 この時代、ベンガル王国はかなり豊かな国だったようで、ラカイン州の西、バングラ南東のチッタゴンに今風に言うとトレードハブとも言える港を持っていたらしい。貿易の相手国としてはとても魅力的な国として世界から見られ、そこに様々な移民が集まってきたという。ベンガル王国は外界との貿易にもかなり積極的だったらしく、南アジアだけでなくアフリカや中国とも関係を築いたようだ。後に統治はムガル帝国に引き継がれることになるが、これによってさらにムガル帝国ルーツのイスラム教徒(入ってきたのはイスラム教徒だけではないが)が現在のチッタゴンラカイン州に入ってくることとなった。また、これに関しては具体的な名称が分からなかったが、当時はイスラム教徒が移住、定住しやすくするための何か仕組みがあったようである。

 

<サロン>

 私は、ミャンマーのダンパウのルーツはロヒンギャビリヤニに求められる可能性が高いということを考えたが、前述の通りロヒンギャの人たちのルーツは多様を極めている可能性が高い。なのでロヒンギャの人たちの今のビリヤニのルーツになったビリヤニはどこの地域のもの(ビリヤニイスラム教徒の料理と言えるが、別にコーランに作り方が書いてあるわけではないので、ビリヤニが東南アジアに存在するためにはどこかから物理的に伝わって来なければならない)か、というのを考えるのはもはや彼らの家に行って直接訪ねるしかない。しかし現状はなかなかそれが難しい。ということで、どうにか日本からそれを探れないかと思い、彼らの言葉の面からそれを探ってみることにした。

 ロヒンギャ語ではおかずのことをサロンと呼ぶ。私は、この単語は南アジアで使われているサランが語源と考えて差し支えないと思っている。しかしサランという単語を使う地域だけでも相当な数があるので、また彼らのルーツも多様であることまで考えれば、必ずしもサランと彼らのビリヤニの出所が同じであるとも言えない。なんならサロンという言葉すら全ロヒンギャ共通でない可能性もあるし、ロヒンギャに伝わっているビリヤニも一つでない可能性の方が高いだろう。しかし符合する部分もあって、サロンという言葉は主にイスラム教徒が南アジアでも使っているが、ビリヤニもまたイスラム教徒の料理だ。そして隣国のバングラデシュではビリヤニはあるが、ベンガル語ではおかずはサロンではなくトルカリという。そしてロヒンギャビリヤニバングラデシュビリヤニは明らかに違う。よって同じイスラム教徒のコミュニティを抱え、かなり近い地域ではあるが、ロヒンギャビリヤニバングラデシュルーツではない可能性がかなり高いということが言える。この考察を繰り返すことで、ロヒンギャビリヤニのルーツをある程度まで絞ることが可能になるかもしれない。

 

ロヒンギャ語の語彙>

 ロヒンギャ語は、インドのいろいろな言葉やベンガル語と同じく、インドヨーロッパ語族に属す。その中でも近いのがバングラデシュチッタゴンで話されるチッタゴン語ということだ。ただ、ヒンディー語ベンガル語とも言語的な距離は近く、近い言葉はある程度近い特徴を有し、語彙の共有も多くなる。語順はインドやバングラデシュの多くの言葉と共通でS-V-O形が基本で、これは日本語とも同じだ。

 語彙に関してはロヒンギャ語の絵付の辞書を見てみるとAmm(マンゴー)、Andha(たまご)、Anggur(ぶどう)とa頭文字の単語を見ただけでヒンディー語ベンガル語と語彙を共有していることが見て取れる(言語的な距離からするとチッタゴン語に同様の単語がまずある場合は、チッタゴン語との共有と言った方が良いが、私がチッタゴン語を知らないのですみません)。ロヒンギャのルーツが多様なうえ、長い時間をかけて成立したのが今のロヒンギャのコミュニティであるとしたら、ロヒンギャ語も標準語と、なんらかの方法によるグルーピングが可能な方言群が存在している可能性があり、どの方言かでどの外国語からの借用語の割合が多いとか少ないとかも、もしかしたらあるのかもしれないがそこまでは分からない。

 

<サランという単語を使用する地域>

 まずロヒンギャ語のサロンは、南アジアでイスラム教徒が使うサランという単語の変化形と考えてほぼ間違いないと思う。ではその原型となったサラン(saalan)は、何語がルーツなのかと思い、ヒンディー語辞典を引いてみると、意外にもヒンディー語だった。ウルドゥー語がルーツであったならば話は大分分かりやすかったのだが、そうはいかなかった。ヒンディー語ウルドゥー語の距離感は、言語学的には方言程度の違いと言われる。お互いに話が通じるので日本語と韓国語よりも関係は近いだろう。しかし、心理的な距離となると話は別で、これは人にもよるが北インドヒンドゥー教徒の中には、方言程度以上の心理的距離を感じている人もいる。「それはウルドゥー語だから私たちは使わない」という感じで、単語や言い回しではっきりと区別するのだ。

 このことはヒンドゥー教イスラム教の発想の違いから来ている可能性があって、二つの宗教は食べ物も違うので、その微妙な感覚の違いが使用する単語に現れている可能性はある。つまりサランはヒンディー語ではあるが、ウルドゥー語でも使われていて、イスラム教徒は使うが、ヒンドゥー教徒は使わないと言った感じだ。

 現にサランはインドのハイデラバード料理、パキスタン料理にはよく登場するが、ヒンドゥー教徒ベジタリアン料理にはことごとく登場しない。しかし二つの宗教はそんなに食べもの違うのかというと、全く同じものもよく食べる。同じ地域に住んでいればなおさらそうだ。そんなわけで、次は南アジアでもどの地域でサランという単語が用いられているのかをもう少し詳しく調べてみた。

 

<南アジア人の間で紛糾する議論>

 調べて分かったのは、南アジア人の間でも統一の見解はないということだった。いや、普通に考えれば多様性と書いてインドと読む、みたいなあの地域で皆が一定の見解を持つことなどあり得ないのだが、予想以上に散らかっていて、結局得たい結論は得られなかった。

 まず、サランはやはりイスラム教徒がよく使っているというのは間違いなさそうだ。また、南アジア以外にもサウジアラビア等の湾岸諸国では使用する人もいるという。ただ、南アジア以外ではあまり使用される単語ではないようである。また、ペルシャ語でもサランという単語は使用されない。

 

<おかずを指す語群>

 今度は、インド各地域でおかずの様な意味合いで使われる単語を調べてみた。主にヒンドゥー教徒が使用する言葉である。まずパンジャブ地方ではタリという言葉があり、チキンタリワラなど汁気の強いカレー料理を特にタリワラという。ワラは~を伴ったという意味で、タリワラで汁気を伴ったという意味になる。つまり、タリとは汁だ。

 これに近い言葉としては、北インドからバングラデシュにかけてジョルがある。ジョルも汁ものだ。西インドにはラッサやラスという単語があって、これはジュースや汁という意味になる。もしかして南インドのラッサムも同じ語源かもしれない。これら全てはおかずというニュアンスで用いられることは多いが、その前に汁物という意味合いが勝る。つまり”おかず”というより広範な単語に包含される、おかずの一つの形態と言える。つまり概念としては”サロン”と同じレベルの単語ではない。しかしここに来て一つ思ったのは、ロヒンギャ語のサロンはおかずという概念を表す言葉であったが、その語源となったサランは何か特定の料理群を指す、おかずという単語に包含される位置の単語であったかもしれない。

 

<サランが指す料理>

 サランはインドではグレイビーを伴ったカレー料理の総称という言い方をされるが、これに近い言葉がタルカリだ。バングラデシュではトルカリと発音される。ただタルカリはグレイビーを伴ったものからドライの汁気の無いものまで全て含むことができる。しかしながら、南アジアでサランと言えば全てグレイビーを伴い、汁気の無いものは私が知る限りではあるがないし、私の知り合いのイスラム教徒の人たちは汁気の無いものを指してサランと言うのかというと、主観ではあるが言いそうにはない。ではイスラム教徒の人たちがインドのドライサブジのようなものを食べないのかというと、確かに汁気の多いものが食卓に上る割合は、ヒンドゥー教徒に比べて多い気がする。もしかするとその頻度のせいでサランはおかずという意味ではあるが、汁気の無いものを指さないのかもしれない。バングラデシュイスラム教徒は汁気の無い総菜をかなり良く食べるが、彼らはそれらをトルカリには含めないことが多い。バングラデシュでトルカリというとグレイビーを伴ったものが一般的で、これはサランという言葉の代用としてトルカリを使っているということなのかもしれない。

 他にイスラム教徒がよく食べる料理としてはショルバとヤクニーがあるが、ヤクニーは言ってしまえばスープで、ショルバはそれよりはもう少し腹にたまる食べでのある料理と言う印象だ。そして二つはサランではない。しかし、ショルバやヤクニーは少しの付け合わせ(ライタやサラダ、ドライサブジ)とナンやライスで食事を構成することができるため定食とはならない。つまりおかずを伴わないと考えれば、次元は多少違うもののサランとショルバ、ヤクニーが同時に存在することは矛盾しないので、サランがおかずという概念後語いう考えはまだこの時点では成立する。

 

<塩>

 サランはヒンディー語で塩をした、もしくは塩をした料理と言う意味のサロナーという単語がルーツという指摘もある。ここから辿れる考えは、塩をした食事のメインディッシュになり得るものがサランと呼ばれ出したという可能性だ。調べてみるとハイデラバードやいくつかの南インドの地域にチキンサロナーという料理があり、英訳としてSalted Chickenと書かれている。見た目的にも汁気があり、これは確かにサランと呼べる。しかし疑問なのは、ハイデラバードには伝統的にたくさんのサランと呼ばれる料理があり、それが今でも存在しているのに、なぜサロナーという別のジャンルとも言える料理が存在しているのかということだ。考えられる可能性としては、チキンのサラン(Murgh ka Salan)というチキンのおかずの中に、チキンサロナー(Chicken Salonaa: Salted Chicken)が存在しているということだ。これは矛盾しないが、しかしこれだけではサラン・サロナールーツ説は否定できそうにない。

 そもそも塩は他の言葉では何というのだろうか。インド・ヨーロッパ語族というかなり幅広い言葉の中でそれを探っていると、なんとアイルランド語ではsalannと書きサランと読むということが出てきた。さすがに遠すぎてサラン・アイルランド語起源説というのは無茶苦茶だが、しかしsaltedという意味合いを特定の似通った音韻でインド・ヨーロッパ語族の幅広い言語が共有している可能性はあるし、むしろ同じ語族に属しているということはそこは否定できない。つまりサランのルーツがサロナーかどうかは分からないが、サロナーは印欧祖語にルーツを持つという可能性はある。

 ではヒンディー語で塩は何て言うのかというと、ナマクだ。これはウルドゥー語も共通で、ペルシャ語がルーツだ。サンスクリット語ではラワン(もしくはラヴァン、ラワナ等)と言ったようだが、サンスクリット語には塩を指す単語が存在しないとかいう話も出て来て、私はサンスクリット語は分からないのでこれ以上追うのは止めた。ヒンディー語が塩という単語をサンスクリット語からではなくペルシャ語から拝借しているから、これ以上そこを追っても仕方がない。

 南インドタミル語テルグ語マラヤラム語では塩はウップという。南インドにはウップカリという料理もあり、これも意味的にはsalted meatもしくはsalted dishと解釈できる。ただどちらかというと汁気はなく、マサラフライの様なドライ系の料理が多いグループだ。しかしこれは地域によっては汁気のあるソルナーと混じり、汁気のあるウップカリも存在している。あとウップサールという料理も南インドにはあって、これはものによってはジョルのようにかなり汁っぽい見た目をしているが、肉を使った少し濃いめのサールもある。サールはsarruと書き、salanとの単語上の関係をうっすら連想させるがそれを裏付ける根拠はない。ただ、サールの位置づけとしてはおかずの位置に非常に近く、イスラム教徒に例えばチキンのサールを「ヒンドゥー教徒のサランですよ」と言って見せればおそらく納得する人は多いだろう。ただ、汁気があまりに強ければこれはショルバだよと言われると思う。

 もし、サールとサランが関係する単語であれば、塩を表すウップと共に使用されるサールが塩を意味しないように、サランも塩に関連する単語ではないと言える。しかし、今のところサールとサランを結びつけるものは、なんとなく方言の違いとも見えるアルファベットの並びと、ともにおかずを指していそうな単語であるという限りで、なんとなく根拠には弱い。しかしここでサールのルーツを調べてみると、ラッサムと同じくサンスクリット語のラサであり、先に出てきた西インドのラスやラッサと同じルーツであるということだった。ラッサムというとおよそおかずを指す単語ではないが、しかしラッサやラス、サールよりはある特定の料理を指すので、そういう意味ではラッサやラス、サールの概念はまだおかず寄りでタルカリと同じような次元の単語という考え方もできる。そして仮にサールとサランが関係がある単語同士であれば、サランのルーツもまたサンスクリット語のラサであり、本来の意味合いは汁となる。

 

<食事の形態>

 ミールスやターリ等の全てのおかずをおぼんに一緒盛りにして食べるスタイルを基本とする食事のスタイルはそれぞれの料理がそれぞれの呼称で呼ばれ始め、米やパンの主食に好きな料理をくっつけて食べるスタイルはおかずという概念語が必要になってくるとも考えられる。後者の食事スタイルでもターリに全てを一緒盛にすることができるが、それぞれをそれぞれのお皿に盛ることができる。一方ミールスやターリは各要素の分離ができない。ターリやミールスはインドのヒンドゥー教徒のスタイルということもでき、イスラム教徒のコミュニティーで目立つ食事のとり方は全ての料理が別々に運ばれてくるスタイルだ。バングラデシュに関してはそのどちらもあり、大勢で食事をする場合は結果ターリのスタイルになるが、盛りつけられる前は大皿でテーブルの上に置いてあったりする。つまりヒンドゥー教徒の食事スタイルではおかずという概念が特になく、全ての料理がだいたい同じ位置づけ(実際にはメインディッシュとサイドディッシュの考え方があって違うが)、イスラム教徒の食事スタイルではおかずという幅広い料理を指す概念語とショルバやヤクニーという料理を指す言葉が並列していくつか存在するという考え方ができる。もしかしたらショルバやヤクニーもサラン同様に特定の料理群をそれぞれに包含する概念語であるかもしれない。

 

<強引にまとめ>

 ロヒンギャ語でサロンはおかずという概念を指す単語として用いられている。そしてその語源となったサランもおそらくそうと考えられる。サランは”塩をした”というヒンディー語のソルナーに起源をもつという指摘もあるが、サンスクリット語起源ともまあ考えられなくはない。しかしなぜサランという単語がイスラム文化に起源をもつ単語ではないのかというのは謎である。結局、サロンとロヒンギャビリヤニのルーツが同じなのか違うのか、そしてどこから来たのかということを探る調査は一歩も進展しなかった。