Neo Culture #Journal

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ある文化がある異文化を受容するには、母体となる文化においての既成概念の破壊と伝統の再構築が必要となる。 Neo Cultureは、その過程を人為的かつ局所的に再現しようとする、一種の実験である。

ビリヤニ回顧録②-DumとDamとDumpukhtとDampokhtとDampokhtak

<発音は?>

 順にダム、ダム、ダムプクトもしくはダムプカット、ダムポフト、ダムポフタクもしくはダムポフタキ。これらの発音は、ヒンディー語デーヴァナーガリー文字及びウルドゥー語ペルシャ語アラビア文字で書かれた現地語をアルファベットに転写したものをさらに日本語のカタカナに転写したものだ。これはビリヤニ2割でも指摘するように、特に”ダム”の”ム”の部分が元の言語の発音と全く違う。”ム”と言いかけたところで口をつぐんだまま”ン”と発音すると似たような音になる。しかし日本語にはこの音を表す文字はなく、じゃあ”ン”の方が良いのかというと、”ン”にしてしまうと音声学の観点からするとさらに距離が遠くなってしまうので、カタカタ表記は”ム”で良いと思っている。しかし違うものは違うので、現地人とコミュニケーションを取りたい人や、これから南アジアや西アジアの言葉を勉強する人はまず留意しておくと後が楽になると私は考えている。

 いきなり話が本旨から逸れるが、割と大事なことと思っているので書く。かつてとある何かでガラ”ン”マサラと表記されているケースがあったが、今問題としている”ム”の後にmかpの音が続く場合は、日本語でも現地とほぼ同じ発音に勝手になるので、結果的に”ン”の表記が理に適ってしまうケースがある。なのでダ”ム”プクト、ダ”ム”プカット、ダ”ム”ポフト、ダ”ム”ポクタク、ダ”ム”ポフタキの場合は全てダ”ン”と表記することが可能なだけでなく、むしろそっちの方が現地に近い。実は日本語では”ン”一文字で片づけてしまっているものの、おしんこ、ピンチ、パンダ、パンフレットの”ン”は音声学的にはすべて違う音で、日本語は全て1つの文字で表すこととして区別しないとした。しかしヒンディー語は全てに違う文字を当て区別し、ペルシャ語もそれ程ではないがある程度区別したという違いがある。

 じゃあ現地流にした方が良いのか、区別できないのなら適当でいいのか、とかここからはそれぞれの主義主張や思い入れが入り混じる領域で、各界の著名人も気を遣っているところであると思う。しかし、例えば仏教のお経の原典はサンスクリット語のものがあったりするが、もはや全く違う音になっている。それでも御利益があると言い、原典から音がずれまくったものが今の今まで継承され、そしてこれからもそのままの形で受け継がれていくであろうことを考えれば、ダ”ム”の”ム”の発音がどうとか言うことなど、些細すぎるとも言える。

 この一連のビリヤニプロジェクトではかなりの頻度で外来語が登場するが、私は現地人の発音からそう聞こえたそうに転写することに努めているので、かなりの主観が入っている。しかしながら、私は耳が良い自信もあるし、書くのはブログと同人誌の様な冊子なので、国際的な基準とかしがらみとかは一切無視して、聞こえたように書かせていただく所存である。どうせ、名もなき旅人の備忘録のようなものなので誰も気にすまいとも思っている。ただここからの表記は、ルーツがインドとかペルシャとか様々な料理が出てくるので、全てアルファベットで記載していく。

 

<言語は?>

 順にヒンディー語ペルシャ語と一部のウルドゥー語ヒンディー語ウルドゥー語ペルシャ語ペルシャ語。ちなみに私はペルシャ語は分からない。

 

<それぞれの言葉の意味は?>

DumDam-鍋を密閉して弱火で鍋を加熱し、鍋の中にある食材そのものが持つ水分によって加熱する調理技術。英語では単にDum、もしくはDum processと表記される。

 

DumpukhtDampokhtDumDamの正式名称と考えられる。しかしながら現在では前者はDumpukht Biryaniのように料理名に付加され、後者はペルシャ料理のdamを行って作るご飯ものの総称として用いられるが多く、調理法としてのこの単語の使用は少なそうである。

 

DampokhtakDampokhtと同じ、もしくはdamを行って作るサフランライスやターメリックライスに目玉焼きを乗せて食べるものを指す。しかし人によって違いがあるもよう。

 

<調理法のルーツは?>

 インドにDumpukht Biryaniという料理が残っているが、他にはDum BiryaniDum ka Murgh等の料理に使われるくらいの使用頻度で、それがどれもムガル料理の類ということは、ペルシャからDampokhtという言葉が調理法として、そしておそらく料理と一緒に伝わったと考える方が可能性としては高いと思われる。他にも一連の関連語がペルシャ語由来と指摘する指摘は多くある。

 いつ頃からこの調理法が存在したのかははっきり分からないのだが、1275年に現在のインドで纏められたというレシピ集には既にDamの記述があったそうである。しかし、例えばアーモンドを使ったプーリを箱に入れて密閉し、タンドールの中に入れて加熱するようなレシピが載っているようで、確かに密閉した調理器具の中で素材そのものの水分を使って加熱しているのでdamdamだが、最近見るようなスタイルとは少し違った雰囲気を感じる。最近はパンは専ら直火焼きであるが、しかしどのようなサイズの箱に入れて、どのような火加減にすれば、どのように焼けたのであろうか。私はパンの専門ではないが、とても興味深いと思う。しかし、ビリヤニだってカレーだって、密閉した容器で炭火でゆっくり加熱して煮込んだものは格別に美味しいので、きっとそのプーリも美味しかったのだろう。今に無いのが残念である。もしかしたら中東や中央アジアのどこかにあるかもしれないが。

 

Indo-Persian料理におけるDum

 ところでここで随分こんがらがる話がある。北インドヒンドゥー教徒の家庭的な料理におけるdum調理の例だ。例えばキチュリやダルを煮るのでさえも、密閉して弱火で煮るという手法が、前回の記事で紹介したIndo-Persian料理のレシピ集に載っていたりするという話だ。dumという名称が原典に登場するかどうかは、原典が読めない以上はっきりしないが、中にはこれをdumと見る向きもあるようである。登場するレシピでは、豆を煮るので水を加えていて、素材だけの水分で煮ているわけではないし、おそらく燃料としては主に炭火ではなく薪を燃やして炊いたのであろうから、密閉、無加水、炭火という古典的なイスラム教徒がイメージする典型的なdamとは違うように見える。しかし炭火という条件はそれにこだわる人とそうでない人がイスラム教徒にもたくさんいるのでいいとして、しかしじゃあペルシャ料理のdampokhtはどうやっているのかというと、米を半日水に浸けた後にある程度の時間下茹でし、水を切ってからdamにかけるのである。つまり鍋そのものに直接加水をしないものの、米には結局水を違った方法で与えている。後は古典的なDum ka Murghでは水は加えないものの、dumにかける前にはヨーグルトを加える。後はトルコ料理でも名前は全く違うが同じ原理で調理する料理がたくさんあり、それにはダムにかける前に玉ねぎのジュースを加える。みんななんだかんだ水気は加えている。

 

<古典的なdam

 おそらくペルシャ料理における最も古典的なdamによる調理は、dampokhtや先のアーモンドプーリに見られるように、素材が持つ水分を利用して、それを密閉した容器の中で乾燥しないように、ゆっくりと素材を内側から加熱していくものだったのではないかと思う。なのでダム調理の前に水を加えるわけではないにせよ、水を加えて煮込んだグレイビーと重ねてdumを行うDum Biryaniは古典的なdamとは少し違っているのかもしれず、そういう意味ではほぼヨーグルトと肉の水分と(人によっては玉ねぎのペーストを加える)、下茹でした米だけでdumにかけるKacchi Biryaniは古典的なペルシャ料理のdamの概念を踏襲する料理と言えるかもしれない。

 

<圧力鍋の前身>

 つまり一口にダムと言っても、二つの系統が存在すると考えることもできる。一つはペルシャ料理のdompokhtdompokhtak、前述のアーモンドプーリ、Kacchi Biryaniの用に、密閉した容器の中で素材の内側にある水分を利用して、おそらくかつては主に炭火でゆっくりと調理した系統と、もう一つは何かしらの水分を加えつつ密閉した容器の中で素材を加熱する系統だ。

 二つ目の系統に関しては、水を使わないものと水を使うもので分けることもできると言えばできるし、イスラム教の料理としては水そのものは加えたくないというのがある(これは水が貴重な地域にイスラム教徒が多かったからかもしれない)だろうが、しかし一つ目の系統とは確実に異なる調理方法ではある。一つ目は素材を内側から加熱するのに対して、二つ目は何の食材を使うか水を加えるかの幅はあれど、調理する食材を水分という媒介を使って外側から加熱していくからである。極端でシンプルな言い方をすると、前者は蒸らす(東アジアの蒸すとは違う)に近く、後者は茹でるに近く、共通する要素は密閉意外には無くなってくる。

 ここで、二つ目の系統はフタを密閉し、圧力をかけることで調理時間を短縮していたのではないかということが思い浮かぶ。つまり、圧力鍋がなかった時代に、豆などの時間がかかるものや、肉料理やキチュリなどしっかり煮込んだ方が美味しいものに関して、鍋を密閉することで内部を圧力鍋と同じ状態にしていたのではないかということである。一つ目の系統も二つ目の系統も、加熱中に鍋を外から見たのでは状態は全く一緒で、ただ密閉された鍋が弱火にかけられていただけであるので、どこかでダムという音が共有され、それがDum ka Murgh等の一部のムガル料理の成立にも影響した可能性はある。

 

<燃料の問題>

 もはや日本ではお金さえ払えば燃料の心配は要らなくなった。アウトドアでバーベキューをする際にも、余分に持って行くであろうから炭の残量を気にしながらバーベキューをすることはないだろう。しかし、貧しかった時代や、今でも貧しい人たちはそうもいかないのだ。なにせお金を払っても燃料そのものがなかったりするし、燃料はあってもそれにはおかしな値段が付くことだってあるからだ。沸騰すれば10分で一応は食べれる状態になるマスールダルでさえも浸水して、さらに茹で時間を短縮する人たちだって最近のインドにもいくらでもいたし、今でもいるだろう。周りにお店がないような田舎に行けばほぼ全てが自炊になるので、燃料がなければ金があっても飯は食えない。生で食べられる食材が豊富な日本は相当に恵まれていて、加熱しないと食べられない食材しか持たない人たちもたくさんいる。今でもそういう人たちはいるのだから、きっと昔はさらに多くの人たちが燃料の節約には必死だっただろうと思う。

 

<まとめ>

 一つ目の系統のdamは、茹でただけでも食べられるお米や、普通に焼いても食べられるプーリを敢えて炭火でゆっくりと時間をかけて調理するわけだから、ある程度恵まれて食文化的にも豊かな人たちの間で発達した、贅沢のための調理法だったかもしれない。二つ目の系統のdumは、もともとは圧力鍋の前身として存在し、生活のために生まれた調理法だったかもしれない。

 この二つは現在ではあまり区別されておらず、「水を加えない」密閉調理としてペルシャ料理のdampokhtdampokhtakだけでなく、Dum ka MurghDum Biryaniなど幅広い料理に用いられる調理法と解釈されている。しかし成立の起源を辿ってみると、またもや人間の辿った来た歴史が垣間見れたのかもしれないという話である。